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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)3720号 判決 1978年10月30日

原告 長谷川保 外二七名

被告 水道機工株式会社

主文

被告は原告鈴木正夫に対し金三〇円、原告小野卓夫に対し金三、九五二円、原告伊東英之に対し金六、〇七三円、原告片桐国広に対し金三、〇七七円および右各金員に対する昭和四八年三月二四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。その余の原告らの請求ならびに原告鈴木正夫、原告伊東英之および原告片桐国広のその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告小野卓夫に生じた費用、原告伊東英之に生じた費用の五分の一、原告片桐国広に生じた費用の六分の一と被告に生じた費用の二〇分の一とを被告の負担とし、原告伊東英之に生じたその余の費用と被告に生じた費用の三〇分の一とは同原告の負担とし、原告片桐国広に生じたその余の費用と被告に生じた費用の三〇分の一とは同原告の負担とし、その余の原告らに生じた費用と、被告に生じたその余の費用はその余の原告らの負担とする。

この判決は、原告鈴木正夫、原告小野卓夫、原告伊東英之および原告片桐国広勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の申立

一  原告ら

被告は、原告らに対し、別紙請求賃金目録記載の各金員およびこれに対する昭和四八年三月二四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行の宣言

二  被告

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告らは、昭和四八年三月当時いずれも被告の従業員であり、毎月一日から末日までの賃金を当月二五日(ただし、同日が土曜日、日曜日または休日にあたる場合はこれら以外の直前の日に繰上)に支給される約定であつた。そして原告らの同年二、三月当時における各賃金額は、別紙賃金額等一覧表賃金額欄記載のとおりである。

2  原告らは、同年三月一日から三一日まで就労し、その労務を提供した。

3  しかるに、被告は、原告らに対し同月二三日別紙賃金額等一覧表支給金額欄記載の各金額を支給したのみで、前記賃金額との差額である同表控除金額欄記載の各金員を支給しない。

4  ところで、同月分の賃金支払日である同月二五日は日曜日であつたため、同月分の賃金は同月二三日に支払われるべきものである。

5  よつて、原告らは被告に対し、別紙請求賃金目録記載の各金員およびこれに対する支給日の翌日である昭和四八年三月二四日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

認める。

三  抗弁

1(一)  被告は、昭和四八年二月原告らに対し同月分の賃金を支払う際、その全額を支払つた。

(二)  被告は、同月五日から一四日までの間に原告らに対し、別紙出張外勤業務命令一覧表記載のとおりの出張・外勤命令(以下「本件業務命令」という。)を発した(ただし発令日時はすべて命令書記載の始業日時以前である。)。しかるに、原告らは、右業務命令を受けながら、その間、出張・外勤業務に従事することを拒否し、別紙賃金カツト一覧表対象時間欄記載の時間その労務を提供しなかつた。

従つて、原告らは、前記不就労の時間その債務を履行しなかつたことになる。

(三)  従つて、被告は原告らに対し前記不就労の時間に対する賃金を支払う義務を有しないことになり、その金額は別紙賃金控除額算定方法記載の方法により計算した別紙賃金額等一覧表控除金額欄記載の金員(ただし原告江崎については金六、八一七円)となる。

従つて、原告らは二月分の賃金中右金員を法律上の原因なくして利得したことになる。

(四)  被告は、右過払金額を、その金額の計算、確定のために必要な期間経過後で、賃金の清算調整の実を失わない程度に合理的に接着した時期である昭和四八年三月二三日に、同月分の賃金額から別紙賃金額等一覧表控除金額欄記載の各金員(ただし原告江崎については過払金額の内金二、四二四円)を控除(以下「本件賃金カツト」という。)した。

(五)  仮にそうでないとしても、原告らの属する水道機工労働組合(以下「組合」という。)の執行委員長栗原誠二は、昭和四八年二月一六日原告らを代理して被告に対し同年三月分の賃金から過払分を控除することを要求したので同年二月二二日被告はこれを承諾し、右合意に基づいて本件賃金カツトを行つた。

2  また、被告は、本件業務命令を発するに際し、右以外の業務について就労を禁止したが、右就労禁止は休業に該るから、被告は、原告らに対し平均賃金の六割に相当する金員を支払えば足りるものである。

従つて、別紙賃金額等一覧表控除金額欄記載の金員(ただし、原告江崎については前記のとおり。)中少なくとも各四割に相当する金員については前同様の理由により原告らが不当に利得したことになる。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1(一)の事実は認める。

2  同(二)前段の事実は、原告谷田部に対する昭和四八年二月六日付命令、原告江崎に対する命令、原告上谷田に対する同月一〇日付命令の各発令時期を除き認める。原告谷田部に対する右命令は命令書記載の始業時刻経過後の同月六日の九時過に、原告江崎に対する右命令は同月八日の一三時過に到達したものであり、また、原告上谷田に対する右命令は出張当日である同月一二日になされたものである。

3  同(二)後段の主張は争う。

原告らは、本件業務命令には服さなかつたが、その間社内において内勤業務に従事した。被告における出張・外勤業務は、従来日々個々に指示を受けて決定されるものではなく、原告らにおいて適当な時期を選択して出張・外勤をなせば足りるものとされていたので、これを拒否しても、原告らの判断においてしかるべき労務を提供すれば、通常労務の提供として被告は当然これを受領すべき義務を有していた。しかも、原告らが現実に提供した内勤の労務は、被告にとつて業務上損失となるものではない。

従つて、原告らは、被告主張の期間労務を提供したものといえる。

4  同(三)の主張は争う。

5  同(四)の事実中本件賃金カツトがなされたことは認めるが、その余の事実は否認する。

右控除額の計算および確定は昭和四八年二月分の賃金の支払時期である同月二五日までになし得たはずである。従つて、同年三月分の賃金から控除した本件賃金カツトは、合理的かつ接着した時期におけるものとは言い難く、労働基準法第二四条第一項に反し許されない。

6  同(五)の事実中本件賃金カツトがなされたことは認めるが、その余の事実は否認する。

7  同2の主張は争う。

五  再抗弁

1  本件出張・外勤拒否は組合の争議行為として行われたものである。ところで、労働組合の争議行為を全く否定するような使用者の業務命令は、結局は労働者の争議権を否認することに帰着するので、憲法第二八条、労働組合法の各規定からみて無効である。従つて本件業務命令に従わないことを理由とする本件賃金カツトは許されない。

2  出張・外勤に関する業務命令は、従来、職制から口頭で伝えられ、出張・外勤担当者が注文者と連絡をとり、自己の業務予定を考慮の上出張・外勤の可能な日を取決め、所属課長の了承を得て出張・外勤業務に就くのを慣行としていた。しかるに、本件業務命令は、出張外勤担当者の都合を聞くことなく一方的に期間を指定して文書で発せられた。従つて、本件業務命令は、労使間の慣行、殊に出張時期に関する原告らの裁量権を無視したものであり、信義則に反する無効のものである。

3  被告においては、原告らは、社内で定時間勤務するのを原則としているものであつて、出張・外勤は必要に応じて命令権者から個別に指示発令されるものであり、また、出張については賃金に付加して旅費および日当が支給され、外勤は時間外勤務と同視されている。従つて、出張・外勤は原告らの基本的勤務形態ではなく、これとは可分の特殊勤務に属するものである。故に出張・外勤の拒否を理由として、原告らが内勤をした業務の対価たる賃金を控除することは許されない。

4  仮に原告らのうちに出張・外勤を主たる業務とする者があつたとしても、原告長谷川、同村松、同久保田、同竹内、同宇佐原、同小野、同望月、同斉藤、同加門、同江崎、同山森、同上谷田および同片桐は昭和四七年一一月ないし昭和四八年一月までの間において、その出張・外勤日数が稼働日数の半分を超えないので、出張・外勤を本務とするものではない。そして同原告らは前記のとおり労務を提供している。従つて、右原告らに対し、被告は賃金支払義務を免れることができない。

5  前記四2で述べたとおり、原告谷田部に対する昭和四八年二月六日付命令、原告江崎に対する命令および原告上谷田に対する同月一〇日付命令は、その到達時期からして、いずれもその履行が不可能なものであつた。従つて、右原告らが右各命令に従わなかつたとしても原告らの責に帰すべき事由による労務不提供ではない。

6  原告小野は、被告が賃金カツトの対象とした昭和四八年二月一四日につき有給休暇をとり、被告はこれを承認している。従つて、原告小野に対する賃金カツトは違法である。

7  被告会社の就業規則である給与規定第一二条第一項によれば、(1)一賃金計算期間に欠勤が七日を超える場合、(2)右期間に無届等正当な理由のない欠勤が三日を超える場合、(3)無届等正当な理由のない欠勤が連続して五日を超える場合には、右超過欠勤期間について日割計算により算出した額を賃金より減額する旨の定めがある。ところで、右条項は、欠勤理由については制限を加えず、しかも、争議行為は労務提供を拒絶する点において欠勤と何ら差異はないから、原告らの争議行為を仮に欠勤としても、賃金カツトは右条項に従つて行わなければならないところ、原告らは本件につき争議行為である旨を通告しているのであるから、右にいう無届欠勤には該らない。従つて、七日を超えない期間については賃金カツトをなし得ないものである。

8  仮に過払賃金につき接着した時期における清算が許されるとしても、過払賃金の取戻は本来民事訴訟手続によるべきものであるから、その限度は民事訴訟法第六一八条第二項により一ケ月分の賃金の四分の一以下にとどまるべきである。しかるに原告伊東に対する昭和四八年三月分の賃金額は金八六、四一〇円、控除額は金三〇、八〇〇円であるから、金九、一三八円が、原告片桐に対する同月分の賃金五二、五一〇円、控除額は金一八、七〇四円であるから、金五、五七七円がいずれも右制限を超過している。従つて、右各控除額中右超過部分についての控除は違法である。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1の本件出張・外勤拒否が組合の争議行為として行われたものであることは認めるが、その余の主張は争う。

2  同2の事実中、被告の出張・外勤命令が従来書面でなされたことはないこと、本件業務命令が一方的に期間を指定して書面でなされたことはいずれも認めるが、その余は否認する。

従前の慣行は、正常な業務関係において能率を旨とし、手続を簡略化するため事実上行われていたにすぎず、被告が書面をもつて本件業務命令を発したのは、組合との間で争議中であつたため、業務命令の存在および内容を明確にする必要があつたからである。

なお、出張・外勤命令の発令の過程において参考として従業員の意見を聞くこともあるが、従業員の意見に拘束されるものではなく、建前としては課長が一方的に決定発令するものであつた。

3  同3および4は争う。

なお、仮に出張・外勤業務が特殊業務であるとしても出張・外勤命令に基づき業務を遂行すべきことは他の業務と同様であり、命令を拒否する正当な理由とはならない。

4  同5の事実は否認する。

5  同6の事実は認めるが、原告小野の有給休暇は争議の一方法として行われたものであるから、本件賃金カツトの対象となる。

6  同7の事実中、給与規定に原告ら主張の定めがあることは認める。

しかし、賃金減額に関する右の定めは、平和時における欠勤について定めたものであるから、争議行為による労務の不提供については適用されない。

なお、このことは、被告会社と組合との間に締結された労働協約第一〇五条にも明記されているところである。

7  同8の事実中、右原告らに対する各控除額は認めるが、その余の事実および主張は争う。

右控除は、前記のごとく原告らの代理人である組合執行委員長の申入れにより行われたものであるから、民事訴訟法第六一八条第二項に違反するものではない。

第三証拠<省略>

理由

一  請求原因事実は当事者間に争いがない。そして右事実によると、被告が原告村松の昭和四八年三月分賃金から控除した金額は金二、八五六円、原告久長の同月分賃金から控除した金額は金四、〇二〇円であるから、原告村松の本訴請求中金四五七円の支払を求める部分および原告久長の本訴請求中金八三七円の支払を求める部分はいずれも主張自体失当であり、その余の点を検討するまでもなく棄却を免れない。

二  そこで被告の抗弁について検討する。

1  抗弁1(一)の事実は当事者間に争いがない。

2  同1(二)前段の事実は、原告谷田部に対する昭和四八年二月六日付命令、原告江崎に対する命令および原告上谷田に対する同月一〇日付命令の発令時期を除いて当事者間に争いがない。そして証人杉浦宏一の証言およびこれにより真正に成立したものと認められる乙第二九号証、証人黒沼孝司の証言およびこれにより真正に成立したものと認められる乙第三二号証、証人大野光明の証言およびこれにより真正に成立したものと認められる乙第六〇号証、原告斉藤吉正および同鈴木正夫各本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、当時原告谷田部が属していた世田谷工場工事課の課長黒部孝司は昭和四八年二月六日午前八時三〇分以前に同原告に対し同日付出張命令を発し、同原告はその頃これを受領したこと、当時原告江崎が属していた営業管理部商品課の課長杉浦宏一は同月八日午前中に同原告に対し出張命令を発し、同原告はその頃これを受領したこと、当時原告上谷田が属していた羽田工場製作課の課長大野光明は同月一〇日同原告に対し同日付出張命令を発し、同原告はその頃これを受領したことが認められる。原告谷田部、同江崎および同上谷田各本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信せず、他に右認定に反する証拠はない。

従つて原告らに対する本件業務命令はすべて被告主張のとおり発せられ、原告らは右命令に対応する労務を提供しなかつたものである。

原告らは、出張・外勤業務に従事しなかつたが、その間内勤業務に従事し労務を提供したと主張し、証人栗原誠二および同佐藤豊の各証言、原告長谷川保、同久保田輝夫、同米山信義、同江崎滋、同加門一治、同中山克己、同村松健臣、同久長貞徳、同竹内毅志、同久土目昇、同湯田晃也、同岸本光右、同谷田部孟、同若山充、同片桐国広、同上谷田勝雄、同関司、同木之下直次、同斉藤吉正、同鈴木正夫、同宇佐原敦、同小野卓夫、同伊東英之、同寺慶二および同大橋義之各本人尋間の結果によれば、原告小野は出張すべき日に欠勤したが、同原告を除く原告らは出張・外勤をすべき期間いずれも被告会社に出勤し、その分担に応じ、書類、設計図等の作成、出張・外勤業務に付随する事務、器具の研究、工具等の保守点検等の内勤業務に従事していたことが認められる。

しかしながら、使用者は、労働契約を締結することによつて労働者に対する労務指揮権を取得し、労働者は労働契約の趣旨内容に反しないかぎり使用者の指揮命令に従つて労務を提供すべき義務を負うことになるから、労務の提供は使用者の明示または黙示の指揮命令に従つたものでなければならず、これに反する労務を提供しても、債務の本旨に従つた労務の提供とはいえない。

本件業務命令が文書により期間を指定してなされたことは当事者間に争いがないので、原告小野を除く原告らの前記内勤は、被告の明確な指揮命令に反するものであつたといわなければならない。よつて、本件業務命令が有効である限り、右原告らが前記内勤業務に従事したことをもつて正当な労務の提供をしたものとは認め難い。なお、原告らは、被告会社における出張・外勤は原告らが適当な時期を選択して出張・外勤業務に従事すれば足りるものとされていたから、出張・外勤を拒否しても、原告らの判断でしかるべき労務を提供すれば、被告はこれを受領する義務があつた旨主張し、証人栗原誠二、同浅見文雄、同清水章夫、同藤井治、同鷲見峻一、同黒沼孝司の各証言、原告加門一治、同村松健臣、同久長貞徳、同竹内毅志、同久土目昇各本人尋問の結果によれば、被告会社においては、出張・外勤の必要が生じた場合、従業員が自己の担当業務の状況等を考慮し、注文主と打合せの上、予め日時を内定し、上司の許可ないし命令を得るとか、上司から出張・外勤を命ぜられた場合にも出張日程等については上司と協議の上これを決定するなど従業員の意思が相当に尊重されていたことが認められる。しかし、成立に争いのない乙第七八号証によれば、被告会社における出張は、被告が命ずるものであり、また証人清水章夫、同鷲見峻一、同黒沼孝司の各証言によれば、注文先が日時を指定して来た場合には特別の場合を除き従業員の意思は顧慮されない取扱であつたし、従業員が日程を作成提出した場合でも上司においてこれを変更して命令を発する例も少なくなかつたことが明らかであるから、前記のような従業員の自主性を尊重する取扱は、従業員がそのなすべき業務を選択して決定する権限を認められていたものではなく、被告の業務命令発出の手続を円滑にするため事実上許容されていたにすぎないものといわなければならない。従つて、出張・外勤につき前記のような取扱が存したことをもつて、原告らの前記内勤業務を労務の提供と認めることはできない。

三  次に、本件業務命令の効力およびこれが履行しえたものであるか否かを検討する。

1  原告らは、本件出張・外勤拒否は組合の争議行為として行われたものであり、本件業務命令は労働者の争議権を否認することになるから、憲法第二八条、労働組合法の各規定からみて無効であると主張する。

本件出張・外勤拒否が組合の争議行為として行われたことは当事者間に争いがないが、成立に争いのない甲第三号証の三および証人栗原誠二の証言によれば、組合は、昭和四八年一月三〇日、被告に対し同年二月一日以降外勤・出張拒否闘争および電話応待拒否闘争に入る旨通告したこと、右闘争は一定期間労務の提供を全面的に拒否するのではなく、組合員が通常行う業務のうち右の種類の業務についてのみ労務の提供を拒否するものであつたこと、右通告に基づいて本件出張・外勤拒否が行われたことが認められる。右事実と前記二2の事実とを併せて考えると、右通告は、実質的には出張・外勤拒否闘争の予告と解せられ、本件業務命令は争議行為中になされたものではないし、原告らの出張・外勤の義務は本件業務命令によつて発生するのであつて、本件業務命令があつて初めて争議行為に入ることが可能になるのであるから、本件業務命令は組合の争議行為を否定するような性質のものでもない。

従つて、この点について原告らの主張は、理由がない。

2  原告らは、本件業務命令が従来の慣行を無視した信義則に反するものである旨主張する。

従来被告において、従業員が出張・外勤業務に従事する場合その日程等の決定について従業員の意思が相当程度尊重されて来たことは前記のとおりであるが、右は従業員の権限として認められたものではなく、業務能率等の見地から被告においてこれを許容していたにすぎないものであつて、出張・外勤はあくまで被告がその権限に基づいてこれを命ずるものであり、必要な場合には従業員の意思を顧慮しない取扱いであつたこと前記のとおりである。そして証人小林勇の証言により真正に成立したと認められる乙第八号証に証人小林勇、同清水章夫、同山崎守、同藤井治、同大野光明、同村川洋一、同鷲見峻一、同竹井直一、同黒沼孝司、同宮本弘一、同杉浦宏一の各証言および原告岸本光右、同村松健臣、同久長貞徳、同木之下直次、同斉藤吉正、同鈴木正夫、同久土目昇、同宇佐原敦、同若山充、同伊東英之、同大橋義之、同上谷田勝雄各本人尋問の結果を総合すれば、本件業務命令は注文主の要求、日時の指定あるいは業務の緊急性に基づいて発せられたものであることが認められるから、原告らの意見ないし都合を考慮することなく発せられたとしても信義則に反するものとはいえない。原告関司、同片桐国広、同谷田部孟、同小野卓夫、同湯田晃也、同長谷川保、同江崎滋、同加門一治、同中山克己各本人尋問の結果中、原告らの主張に副う部分は措信せず、他に原告らの主張を認めるに足る証拠はない。

また、本件業務命令が従来と異り文書をもつてなされたことは当事者間に争いがないが、証人佐藤豊、同大野光明の各証言によれば、被告が右命令を文書でなしたのは、命令の存在を明確にし、後日の紛争を避けるためであつたことが認められ、合理的理由の存するものであるから、この点に関する原告らの主張も理由がない。

3  原告らは出張・外勤が被告会社における基本的勤務形態ではなく特殊勤務に属するものであるから、出張・外勤を拒否しても本来の賃金請求権を失わない旨主張する。

なるほど出張・外勤は被告が必要に応じて個別にこれを命ずるものであることは前記のとおりであるが、業務命令が個別的であろうと、包括的であろうと、労働契約の範囲を逸脱しない限り、有効に発しうるものであり、労働者はこれに服して労務を提供する義務があるというべきところ、前記乙第七八号証、成立に争いのない乙第八〇号証に弁論の全趣旨を総合すると、出張については賃金とは別に出張費が支給されていることが認められるが、右出張費は本来の賃金に付加して支払われるものにすぎないから、右出張費の支給をもつて出張・外勤業務が原告らの労働契約上の義務であることを否定する根拠とはなし得ない。

また、従来の出張・外勤日数が稼働日数の半分を超えないからといつて、出張・外勤が労働契約の範囲に含まれない業務であるともいえない。

その他本件業務命令が原告らに労働契約の範囲外のことを命じたことを認めるべき証拠はなく、かえつて証人佐藤豊の証言ならびにこれにより真正に成立したと認められる乙第九号証によれば、本件業務命令による出張・外勤は、原告らの労働契約上の義務の範囲内であつたことが認められる。

4  原告谷田部、同江崎および同上谷田は、同原告ら主張の各命令がその到達時期からして履行が不可能であつた旨主張するが、右各命令の到達時期は、前記認定のとおりであるから、右主張はその前提を欠き、いずれも理由がない。

5  原告小野が昭和四八年二月一四日につき有給休暇の手続をとり被告がこれを承認していることは当事者間に争いがない。被告は同原告が争議の一方法として欠勤したため賃金カツトをした旨主張し、証人清水章夫、同小林勇の各証言を総合すると、同原告は右同日の出張業務を拒否するために有給休暇をとつたことが認められるが、被告は有給休暇を承認することにより右の義務を解除したものということができるから、右休暇が出張業務を拒否する目的のものであつたとしても、同原告に労務不提供の責を問うことはできず、同原告の再抗弁は理由がある。

四  以上の次第で、原告小野を除く原告らは本件業務命令の対象時間その労務を提供しなかつたものであり、従つて被告は原告らに対し右労務不提供にかかる時間に対する賃金につき、その支払義務を有しないことになる。そして被告が右原告らに対し昭和四八年二月分の賃金を支給する際右賃金を差引かずに同月分の賃金を支給したことは前記のとおり当事者間に争いがない。してみると、右原告らが受領した同月分の賃金中、本件業務命令の時間に対応する賃金は原告らが法律上の原因なくして利得したことになり、これを被告に返還すべきものである。

五  そして被告が昭和四八年三月分の賃金から本件賃金カツトをしたこと、原告らの同年二月分の各基本給が別紙賃金額等一覧表基本給欄記載のとおりであることは当事者間に争いがない。

証人佐藤豊、同小林勇の各証言に弁論の全趣旨を総合すれば、本件賃金カツトは、別紙賃金控除額算定方法記載の方法でなされ、右によると本件賃金カツトは賃金のうち労働時間に対応して支給される基本給のみを対象とし、これに昭和四八年二月中の労働時間に占める不就労時間の割合を乗じて算出していることが明らかであるから、原告小野を除く原告らに対する過払賃金の算定方法は合理的であり、右計算方法によれば過払賃金額は、別紙賃金額等一覧表控除金額欄記載の各金額(ただし、原告鈴木については時間割給が六五七円となるため過払賃金額は金一九、七一〇円、原告江崎については金六、八一七円)となることは計数上明白である。

労働基準法第二四条第一項によれば、賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならないとされている。そして右条項は労働者の生活保障のための規定であるから、前記法文に徴すると賃金カツトは原則としては許されないが、賃金の過払は支払事務の関係から往々にして避け得られないところであるから、使用者が後に支払う賃金から過払分を一方的に差引くことを認める必要はこれを否定し得ないところである。そして右賃金カツトは過払金返還請求権を自動債権とし、その後に支払われる賃金債権を受働債権としてする賃金相互間の調整的相殺であるから、右相殺は(イ)給与の清算、調整の実を失わない程度に合理的に接着した時期においてされ、(ロ)あらかじめ労働者にそのことが予告されているとか、相殺額が多額にわたらない等労働者の経済生活の安定をおびやかすおそれがない場合(その額については民事訴訟法第六一八条第二項の制限に服すべきである。)には労働基準法第二四条第一項の規定に違反しないものと解すべきである。

しかして、本件賃金カツトは過払のなされた翌月である昭和四八年三月二三日になされたことは前記のとおりであるから、賃金の清算調整の実を失わない程度に合理的に接着した時期になされたものであり、またカツト額も後記のとおり原告伊東および同片桐に対する分を除き原告らの経済生活の安定をおびやかすものとは解されないから正当というべきである(ただし、原告鈴木に対するカツト額は一九、七四〇円であるため、前記過払賃金額一九、七一〇円を三〇円超過していることとなる。)。

六  原告らは、被告会社の就業規則である給与規定の定めからして、本件賃金カツトは許されない旨主張する。

被告会社の給与規定に原告ら主張のごとき減額に関する条項の存することは当事者間に争いがない。しかしながら、前記乙第七八号証、成立に争いのない乙第七九号証によれば、給与規定に欠勤について原告ら主張のような定めはあるものの、欠勤は、就業規則上、懲戒処分の一事由となり、勤務成績の資料にもなる旨定められており、かかる事由に徴すると、右規定が本来懲戒処分の一事由あるいは勤務成績の資料となることが考えられない争議行為による不就労の場合を予想して定められたものとは認められない。従つて給与規定にいう欠勤は、平和時におけるそれを指すものと解するのが相当である。

従つて、この点に関する原告らの主張は失当である。

七  原告伊東および同片桐は、本件賃金カツトによる控除額が民事訴訟法第六一八条第二項に定める限度を超える旨主張する。

労働基準法第二四条第一項の法意が前記のとおり労働者の生活保障のためであるとすると、前記条件の下に賃金カツトが許されるとしてもその額は前記のごとく民事訴訟法第六一八条第二項に定めるところ、すなわち賃金の四分の一以下に限るのを相当とする。しかるところ、原告伊東に対する昭和四八年三月分の賃金が金九八、九一〇円、カツト額が金三〇、八〇〇円であること、原告片桐に対する同月分の賃金が金六二、五一〇円、カツト額が金一八、七〇四円であることは前記のとおりであるから、原告伊東につきその賃金の四分の一を超えるカツト分金六、〇七三円、原告片桐につき同じく金三、〇七七円はいずれもカツトすることが許されないものといわなければならない。

なお、被告は、組合執行委員長栗原誠二が同原告らを代理して右控除を申入れた旨主張するが、同原告らがこれを委任したことを認めるべき証拠はない。

従つて、右原告らの再抗弁は右の限度で理由がある。

八  以上の次第で、原告らの本訴請求中、原告小野卓夫の請求、原告鈴木正夫の請求中金三〇円、原告伊東英之の請求中金六、〇七三円、原告片桐国広の請求中金三、〇七七円およびこれらに対する支払期日の翌日である昭和四八年三月二四日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当であるからこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条および第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 桜井文夫 福井厚士 仲宗根一郎)

(別紙、別表省略)

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